第五章:日本の霊性と「調和文明」の本質的意義
■ 失われた霊性——経済至上主義の果てに
戦後の日本は、「経済復興」という旗のもとに、
物質的な豊かさを追い求めてきました。
その過程で確かに、
日本は世界から尊敬される
「技術大国」「勤勉な国民性」として成長を遂げました。
しかしその一方で、
何か大切なものが抜け落ちていったことに、
私たちは氣づかねばなりません。
神社仏閣が観光地と化し、
自然との共鳴が忘れられ、
“見えないもの”への畏敬の念や、
「いのち」そのものへの深い感受性が、
いつしか「効率」や「合理性」の名の下に
片隅へ追いやられていったのです。
■ 日本に息づく「八百万の神」的世界観
日本古来の精神性は、
「善か悪か」「正か誤か」の二元論では語れません。
森羅万象、山や川、石や風にさえ魂が宿るという
「八百万の神」的世界観。
それは、すべての存在が
繋がり合い、支え合ってこの世が成り立っているという、
調和の哲学です。
敵味方に分かれ、相手を排除するのではなく、
違いを受け入れ、
共に在る方法を見い出していく
——そうした精神性は、
本来の日本人の心に深く根づいていたものでした。
■ 調和文明の再発見——“戦わない力”の復権
現代は、分断と対立の時代です。
政治、経済、国際関係、宗教、思想――
あらゆる分野で「正義のぶつかり合い」が起きています。
しかし、その“正義”は本当に普遍的なものなのでしょうか。
あるいは、利害の仮面を被ったエゴイズムではないのか?
ここで日本が発揮すべきは、「戦わずして調える」力です。
それは、合氣道に代表されるような、相手の力を正面から否定せず、
そのエネルギーを受け流し、調和に変えていく智慧。
武力でも威圧でもない。
対立を超えた先にこそ、人類の進化はある。
この精神を世界に示せるのは、日本以外にありません。
■ 現代文明の限界と、霊性の復権
近代西洋文明は、科学と論理を武器に世界を牽引してきました。
だが、それは
**「目に見えるもの」だけを重視する偏り**
でもありました。
氣、魂、場、波動、言霊――
そうした“非物質的なもの”を迷信と切り捨ててきた結果、
人類はテクノロジーは発達させても、
幸福感や生命力は衰えつつあるのが現実です。
いまこそ、霊性の復権が必要です。
それは宗教的なドグマではなく、
自然と人間、
個と全体との繋がりを思い出すことに他なりません。
■ 霊性と実践の融合——新たな生活様式へ
霊性とは、ただ心の内に秘めておくものではありません。
日々の生活の中で、
具体的な行為として表現されるべきものです。
農に生き、自然のリズムとともに暮らすこと。
他者と支え合い、地域社会の絆を大切にすること。
感謝を忘れず、言葉に魂を込めること。
このような生活実践を通して、
日本人の霊性は再び息を吹き返すのです。
■ 「調和文明」の先導者としての日本
「強者が勝ち、支配し、競争に勝つことがすべて」
という文明は、すでに限界を迎えています。
これからの時代に必要なのは、
共存と調和に根ざした新たな文明観です。
日本はその精神的土壌を、古来より持っています。
私たち一人ひとりが、
日々の生活の中で霊性を取り戻し、
調和的な生き方を選ぶとき、
それは世界への強いメッセージとなります。
「日本の再生」は、
すなわち「人類の進化」への道標となり得るのです。
つづく。