こんにちは、\イッカク です。/
今回は、「石原莞爾」という人物を通して、日本を覗きます。
正社員なのに派遣に任せ続ける日本
石原莞爾が今、蘇る理由
はじめに:私たちは「正社員」なのに、なぜ派遣に丸投げし続けているのか
現代日本を覆う閉塞感の正体は、意外とシンプルだ。
政治も、経済も、危機管理も、すべて「誰かが何とかしてくれる」という
幻想に依存し続けている。
会社で言えば、正社員であるはずの私たちが、
肝心な判断も責任も、すべて「派遣社員」に丸投げしているような状態だ。
この「責任外注」の構造こそが、現代日本の最も根深いバグである。
そして、このバグを100年前にすでに暴き出していた人物がいる。
その名は石原莞爾。
彼を「右翼」「軍国主義者」と呼ぶのは簡単だが、まったく的外れだ。
石原莞爾は、イデオロギーの信奉者ではなく、
日本という国家の「オペレーティングシステム(OS)」そのものを解析し、
その設計ミスを指摘した、最初にして最後の批評家だった。
派遣社員待ちの「ゾンビOS」
明治維新は「ハードウェア」のアップデートだった。
しかし、OS(価値観・思考様式)は、
ほぼ丸ごと英米型をインストールしたままだった。
株主至上主義、金本位制、国際協調主義
――これらはすべて「世界標準=英米ルール」というデフォルト設定だ。
このハイブリッドOSは、
2025年の今もアップデートされていない。
まさに「ゾンビOS」。
正社員(国民)は「最終責任は持たなくていい」という設定のまま、
派遣社員(政治家・官僚・専門家・メディア)にすべてを委ね続けている。
マッカーサーが最も恐れた男
満州事変の首謀者でありながら、
石原莞爾は東京裁判でA級戦犯に問われなかった。
だが、GHQ(特にマッカーサー)は彼を極度に恐れていた。
なぜなら、石原の思想は、米ソどちらにも回収できない
「日本独自のOS」だったからだ。
アメリカ資本主義にも、ソ連型共産主義にも組み込めない。
しかも、その思想は「責任を外注する構造」こそが国家を破滅に導くと、
根源から暴き出すものだった。
だからこそ、処刑もせず、自由も与えず、
「公職追放+徹底的な黙殺」という封印を選んだ。
これこそ、GHQが石原を
「システムレベルの脅威」と認識していた最大の証拠だ。
「現人神」という究極の責任外注装置
石原莞爾が最も嫌悪したのは、「現人神」という国家装置だった。
天皇を神格化し、官僚・軍部が下した判断を「天皇の名」で正当化する。
すると、誰も責任を取らなくて済む。
天皇は神だから責任を問われない。
官僚・軍部は「天皇の意志」だから自分は悪くない。
国民は「天皇の名において」だから考える必要がない。
これこそ、究極の「責任外注システム」だ。
太平洋戦争は、この装置がフル稼働した結果、
「誰が決め、誰が止め、誰が責任を取るのか」が
最後まで不明確なまま遂行された戦争だった。
敗戦は結果にすぎない。
真の悲劇は「責任主体の不在」そのものだった。
戦後も変わらない「派遣社員待ち」のDNA
戦後、
この構造は形を変えて温存された。
「誰も悪くなかった」という戦後処理。
「誰が決めたのかわからない」政権運営。
「専門家が言うから」
「空気がそうだから」と、
正社員が思考を放棄し続ける。
派遣社員(政治家・官僚・メディア)らは
「契約書(前例・空気・国際世論)の範囲内」でしか動かない。
今、
派遣社員さえ信頼できない状況になっている。
政治家は選挙のため、
官僚は出世のため、
専門家は論文と露出のため。
外注先自体が腐敗しきっている。
だからこそ、
もう「派遣に任せる」以外の道はない。
石原莞爾が最後に託したもの
石原莞爾は、国家や制度ではなく、
「一人ひとりの自覚」に希望を託した。
その自覚とは、極めて重い3つの責任だ。
1.代理思考を拒否する
「国が決めたから」「空気がそうだから」を理由にせず、
「最終的に判断しているのは自分だ」と引き受けること。
2.善悪を外注しない
「正しさ」は上から配布されるものではなく、
自分の内側で感じるものだと知り、
その感覚に責任を持つこと。
3.負ける可能性を含めて選ぶ
勝てるからではなく「正しい」と思うから選び、
たとえ負けてもその結果を引き受けること。
これこそが、成熟した「正社員」の姿だ。
結論:もう派遣社員待ちは終わりだ
石原莞爾は死んでいない。
彼の思想は、2025年の今、
私たちの頭の中にインストールされるのを待っている。
「正社員なのに派遣に丸投げし続ける日本」という病理を、
彼は100年前に見抜いていた。
今、私たちは瀬戸際に立っている。
すべての外注先が崩れていく中で、
「自分で考える」
「自分で決める」
「自分で責任を取る」
という、たったそれだけのことを始めるか否かで、
この国のOSは完全に書き換わるか、
ゾンビOSのまま永遠に彷徨うかが決まる。
石原莞爾は、決まった答えをくれる偉人ではない。
彼は、私たち一人ひとりに、
鋭く、静かに、しかし容赦なく問いかけ続ける
「思想のOS」だ。
あなたは、今、
この画面の前で、どう答えるだろうか?
もう派遣社員待ちは終わりだ。
私たちが正社員として立ち上がるしかない。
一緒に、この国のOSを、
私たちの手で、
もう一度、
書き換えよう。
(了)

