今回は、原口一博議員と
「憂国連合」の言動をめぐる評価と、
その限界について考えてみたいと思います。
→「批判」ではなく、
主権者たる一市民としての「意見」です。
「憂国連合」なる組織が出来て、最初は
頼もしく、光が観えてきたのかな、とさえ
思っていました。
以下、段階を追って、現在に至ってる姿を観ます。
【第1段階】原口議員の魅力と国民の期待
原口一博氏は、過去に国会で陰謀や闇の構造に言及し、
一般的な政治家が踏み込まない領域に
声を上げたことで、
「覚醒層」や問題意識のある市民から
一定の信頼と注目を集めてきました。
特に「憂国連合」の設立を通じて、
グローバリズムへの懐疑や主権回復といった
テーマを掲げた点は、
他の議員にない個性とも言えます。
【第2段階】しかし、次第に見えてきた限界
ところが、
時間が経つにつれ、
いくつかの重大な問題が浮き彫りになってきました。
❶ 「問題提起」で止まってしまう:
国会質疑やSNS投稿で
「おかしな構造」
「疑惑」を語っても、
その先にある具体的な政策提言や立法行動が乏しい。❷ 「憂国連合」の活動実態が不明:
公にされている活動は、
せいぜい「内部勉強会」や
「名称使用の声明」程度で、
市民や有権者への広がりや具体的成果は見られない。❸ 立憲民主党という所属政党との矛盾:
自身が追及する問題と、
党としての公式スタンスが
かみ合っておらず、行動にも
制限があるようにも見える。
【第3段階】この状況が何をもたらすのか
上記のような状況は、
結果的に次のような作用をもたらします:
「声は上げているが変化が起きない」
という無力感を市民に与える不条理への怒りや疑問のエネルギーを、
「見せかけの動き」で逸らす
(いわゆる、ガス抜き)効果を持ってしまう問題意識のある層が
「原口さんが言ってくれてるから」と
依存的になり、能動的行動をしなくなる可能性もある
【第4段階】では、何が必要なのか
本当に日本の政治を変えたいなら、
市民自身が
「誰かが代わりにやってくれる」
という受け身の姿勢から
脱却しなければなりません。
政治を変えるには、
「法制化」
「予算配分」など制度面での
具体的な変化が必要そのためには、
選挙で確実に意思表示を行い、
支持すべき政党や候補を見極める力が求められるSNSや街頭での声も重要ですが、
分かりきったことですが、
それを「票に結びつけてこそ」、
はじめて意味が生まれる
【第5段階】結論:冷静な見極めと、自らの行動へ
原口議員が完全に「悪」だとか
「無意味」だという話ではありません。
しかし、彼の活動に期待しすぎるあまり、
政治的エネルギーを
空転させてしまうリスクは見過ごせません。
「ガス抜き」的な言動かどうかは、
実際にどれだけ政策が変わり、
暮らしが変わるのかという視点で冷静に判断すべきです。
そして市民は、
信頼できる政党や候補者を選び、
「暮らしを守る」という原点から
政治に関わる意思と行動を強めることが、
真の変革への第一歩となるのです。
では、また。