前文削除や改変は改憲ではない――それは日本国憲法を終わらせる選択だ

憲法改正

こんにちは、\イッカク です。/
今回は日本国憲法前文について深堀りする。

こんにちは、イッカクです。

本稿では、日本国憲法の前文について、
その法的地位をめぐる細かな学説論争から一度距離を取り、
「そもそも何をもって一つの憲法と呼ぶのか」という
成立条件の問題として掘り下げていきます。

結論を先に述べます。

日本国憲法の前文は、飾りでも理念文でもありません。
前文を削除する行為は、
条文の一部を改める「改憲」ではなく、
日本国憲法という憲法秩序そのものを終わらせ、
別物に置き換える行為です。

ゆえにそれは、憲法破壊と呼ぶほかありません。


憲法前文の意義

日本国憲法の前文は、憲法全体の正当性と目的を支える根拠そのものです。
条文がどれほど整っていても、前文が失われれば、
その憲法は「なぜ存在するのか」「誰のためのものか」を
自ら説明できなくなります。

前文の法的拘束力の有無をめぐる議論があります。
最高裁判例や一部学説が、
前文の拘束力を限定的に捉えてきたのも事実です。
しかし、それは前文が不要であることを意味しません。

この議論は、憲法を「条文の集合」として見る立場に立った場合の話です。
本稿が問うているのは、
その一段階手前にある問題です。

すなわち、
前文を欠いた文書が、
果たして同一の憲法として成立しうるのか、という問いです。

この問いは、
判例理論の射程外に置かれてきました。
しかし、だからこそ今、正面から考える必要があります。


前文削除は改憲ではなく、憲法破壊である

近年、自民党内の憲法改正案の中に、
「前文削除」という案が含まれていたことがあります。
この点について、
感情論や政治的立場とは切り離し、
構造の問題として整理しておきます。

結論は明確です。前文を削除した時点で、
それは日本国憲法の改正ではありません。
日本国憲法という憲法を終わらせ、
別の憲法秩序に置き換える行為です。

改正とは、同一性を保ったまま内容を修正することです。
成立条件そのものを失わせる行為は、改正ではありません。


前文は「飾り」でも「理念文」でもない

まず押さえるべきは、前文の位置づけです。

前文は、
・条文の要約
・道徳的スローガン
・歴史的な挨拶文

ではありません。

前文が担っている役割は、ただ一つです。

この憲法は、何のために、誰のために存在するのか。

その根拠を明示することです。

日本国憲法の条文はすべて、
前文で示された目的を実現するための「手段」として配置されています。
前文を削除すれば、次の事態が生じます。

・目的が消える
・正当性の根拠が消える
・条文が裸のルール集になる

それは、憲法の姿ではありません。


前文は「歯止め」として機能しているのか

よくある疑問として、
「前文は、憲法改変への歯止めになっているのか」という問いがあります。

答えは、イエスです。
ただし、それは手続き的な歯止めではありません。

前文は、次の大前提を宣言しています。

国民が主権者であり、
政府は国民の信託によって成り立つ。

この宣言によって、
・なぜ国家権力が制限されるのか
・なぜ人権が不可侵なのか
・なぜ憲法が国家を縛るのか

という論理の土台が与えられています。

条文の改変や削除が形式上可能であっても、
前文が示す目的と矛盾する改変は、
憲法としての整合性を失います。
この意味で、前文は構造的な歯止めとして機能しています。


前文削除は「改正の自己否定」

日本国憲法は、前文において、次の原理を明示しています。

・主権は国民にある
・政府は国民の信託によるもの
・普遍的な政治道徳に立脚する
・力ではなく信義を重んじる

これらは、条文をいくら精緻に読んでも、
完全には導き出せません。
前文にしか明示されていない原理です。

前文を削除すると、
・主権の根拠が宙に浮く
・政府を縛る理由が説明できなくなる
・憲法が国家を拘束する理由が不明になる

結果として、
憲法が憲法である理由そのものを失います。
これは改正ではありません。
改正という行為そのものを否定する自己否定です。


「手続き的に可能」と「憲法として成立」は別

前文削除を正当化する際、
しばしば次の論理が持ち出されます。

「憲法96条に従い、国民投票で可決されれば合法だ」

しかし、
ここには決定的な見落としがあります。

前文は、96条を含む憲法全体の正当性を支える前提条件です。
その前提を削除した上で
「正当な改正だ」と主張することは、
自分が立っている床を切り落とす行為に等しい。

形式的な手続きの合法性と、
憲法としての成立条件は、

同一ではありません。


前文削除は「憲法秩序の断絶」を意味する

整理すると、次のようになります。

・条文の一部改変:同一憲法の改正
・前文の削除:憲法秩序そのものの断絶

これは、
・会社の就業規則を変更すること
・会社の設立目的と理念を消去すること

の違いに近い。

名称が同じでも、
後者はもはや同一の組織ではありません。
同様に、
前文を失った「日本国憲法」は、同名でも中身は別物になります。


なぜ「破壊」と言ってよいのか

前文は、
・国家が国民を縛る根拠
・権力を制限する理由
・国際社会に対する自己定義

を一身に担っています。

それを削除するとは、
「この国は、なぜ自らを縛るのか」
という問いを放棄することです。
それは改正ではありません。憲法という概念そのものの解体です。


前文なき憲法は「裸の王様」になる

前文を失った憲法には、
・ルールはある
・罰則もある
・権力もある

しかし、
・なぜ正当なのか
・誰のためなのか

を説明できません。

根拠なき権力は、
ただの裸の権力です。それを憲法と呼ぶことはできません。


結語

前文を削除した憲法は、
国民主権を文章として保証できません。

それは「日本国憲法を改正する」ことではなく、
「日本国憲法をやめる」ことを意味します。
前文削除が提案された時点で、
問われているのは条文の細部ではありません。

この国は、なぜ憲法を持つのか。

その根本が、今まさに問われています。


付録:96条改正論者への想定反論Q&A

Q1 96条に従って国民投票で可決されれば、前文削除も正当ではないのか。

A 96条は、憲法を改正するための「手続き」を定めた条文にすぎません。
その96条自体が、国民主権・政府は国民の信託によって成り立つ、
という前文の宣言を前提として成立しています。
その前提を削除したうえで手続きを正当化することは、論理的に自己否定です。

Q2 前文には法的拘束力が弱いという最高裁・通説がある。削除しても問題ないのでは。

A 法的拘束力の強弱と、憲法の成立条件は別の問題です。
前文は直接命令する規範ではなく、
条文全体が「憲法」として存在するための根拠を示す部分です。
その機能は、個別の合憲性判断を行う判例理論の射程外にあります。

Q3 削除ではなく書き換えなら、憲法破壊とは言えないのでは。

A 現行前文が宣言している
国民主権・平和主義・権力制限の根拠を失わせる書き換えは、
形式が「置き換え」であっても、
実質的には削除と同じ結果を生みます。
名称が同じでも、正当性の根拠が断たれた時点で、それは別の憲法です。

Q4 それでも最終的に決めるのは国民ではないのか。

A その通りです。
だからこそ問われているのは、可否ではなく意味です。
国民が選択したとしても、
それが「日本国憲法の改正」なのか、
「日本国憲法を終わらせる選択」なのかは、
区別して理解されなければなりません。


読者への問い

あなたは、国家を縛る言葉を失った文書を、それでも「憲法」と呼べるでしょうか。

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