第二章 消された手紙
古びたノートの表紙には、
わずかに薄れたインクで「観察記録」と書かれていた。
放課後、宮城先生の旧職員室で
そのノートをめくっていたサトコは、あるページで手を止めた。
日付の隣に、赤いペンで斜線が引かれ、消された跡がある。
けれど、その下に薄く残る文字の形状から、サトコは読み取った。
――「手紙は届かなかった。彼らが握り潰した」――
「先生、これ……」
サトコは宮城にノートを差し出した。
「……ああ、それか」
宮城は、静かにうなずきながら椅子に腰を下ろした。
「これは、ある生徒が残した記録だ。
十数年前、私がまだ教壇に立っていた頃、
その子は何か “大人たちの不正” に氣づいたようだった。
『手紙を書いた。誰かに託した。
でも、なかったことにされた』と、
私にだけそっと打ち明けてくれた」
「どうして、その“手紙”は消されたんですか?」
「サトコ、世の中には “届いては困る真実”
というものがあるんだよ。
それは誰かが悪いことをしたからだけではなく、その真実が
明るみに出ることで、
既存の秩序や立場が崩れることを恐れての行動だったりする」
サトコは言葉を失った。
それは、正しい者が報われない世界が、
確かにあるという証のように感じたからだ。
宮城は続けた。
「だがね、サトコ。興味深いことに、
その “手紙の内容” そのものは、
どこにも残っていないんだ。
記録も、コピーも、すべてが消えている。
あるのは“手紙が消された”という記録だけ。
まるで“証拠がないこと”が、
逆にその真実を浮かび上がらせているようだったよ」
サトコは、しばらく黙っていた。
そして、ぽつりとつぶやいた。
「先生、それって…… “辻褄が合いすぎている” って
ことじゃないですか?」
「そうだ。真実というのは、時に
物理的な証拠よりも、
整合性の中に浮かび上がることがある。
たとえば、複数の出来事がまるで “都合よく噛み合っている”ように
感じたら、それは偶然ではなく、
誰かの意思や構造が働いている可能性がある」
(ちょうど、この記事を書いてる内容が
あのコメ不足騒動で、
にわかに小泉大臣が脚光を浴び始まったのは
偶然なのだろうか?⋯)
「……だけど、それだけじゃ “証拠” とは
認めてもらえないんですよね?」
「いまの世の中ではね。
だが、本質的には “辻褄”というのは、
非常に重要な概念なんだよ。
例えば、
目の前の川が濁っていれば、上流で何かが起きている。
私たちはその “上流”を 見ようとしない。
見ても信じない。
けれど、その濁りがずっと続くなら、
それこそが原因を示す“兆し”なんだ」
サトコは、もう一度ノートを見つめた。
文字は薄く、赤ペンの消し跡も滲んでいた。
だが、そこに込められた
“言葉にならない叫び”
のようなものが、彼女の胸を強く打った。
「先生、その生徒は、どうなったんですか?」
「転校させられた。
理由は不明。
家庭の事情と言われていたが、
周囲の教師たちは皆、口を閉ざしていた。
私も……力がなかった。黙って見送るしかなかったんだ」
サトコの手が、ノートのページをそっと閉じた。
その瞳には、静かなる決意の光が宿っていた。
「証拠がなくても、真実は語っているんですね……」
宮城はうなずいた。
「そして、“聞こうとする者”にしか、その聲は届かないのさ」
その夜、サトコは夢の中で、誰かに手紙を渡された氣がした。
白い封筒。差出人不明。
開けると、こう書かれていた。
――「辻褄は、語る。
君が、それを拾い上げることができるかどうかだ」――
つづく。