自由ってなんでしょう?・・・「レバタリアニズム」を考える。

日記


こんにちは、\イッカクです/

今回は、医療法人聖仁会松本医院 院長の松本有史さまからの
ブログより
「レバタリアニズム」について

以下引用を置きます。

<引用開始>_______________

私の根本思想であり、
この現代社会を生き抜くための重要な
手段となり得る
(と私が勝手に思っている)
「リバタリアニズム」という
政治哲学・経済思想(理論)について
お伝えしてみたいと思います。

ところで、
このコロナ禍に遭って、
コロナパンデミック疑問や
違和感を感じて自ら調べ、
やはり様々な事柄が
おかしいということに気づき、
そこから一気に火がついて
他のいろいろな事象を
疑うようになったという人が
かなり増えたように思います
(とはいえほんの一部でしょうが)。
特に(世界的に見れば
まだかなりマシとはいえ)、
コロナパンデミックを煽り、
緊急事態宣言発令などによって
国民を救済するどころか、
その首を絞めている日本政府に対する
不信感が拭えないという方が、
相当多くいらっしゃることと思います。

もちろんそれは
今に始まったことではなく、
政府(国家)は我々国民に常に
(意図的かどうかは別にして)
嘘をつき続けてきました。
そしてその嘘に嘘を
上塗りしているのにも関わらず、
メディアを上手く使って
(自分で調べようとしない)国民には、
その嘘を嘘とわからない
(あるいは気づかせない)ように
印象操作をしてきました。
それはもちろん、
根源的には国・政府に対して
「おかみ」という意識の強い
日本人の国民性(アイデンティティ)に
問題があるからです。

一人一人が独立心を持って、
「政府には頼らない」、
もっと言えば
「(権力者が作り上げた)
今の社会システムには迎合しないぞ」という
強い意思さえあれば、
今の状況は防げるはずだと
私は思うからです。
政府=国家権力は、
我々一般市民の権利・自由を
奪い去る暴力装置であり、
彼らに絶大な権力を持たせることは
極めて危険なことである
という認識が、
我々日本国民(だけではありませんが)には
足りなさすぎると思います。
まさにこの政府=国家権力の
絶大なパワーを抑止する必要があるとし、
それによって我々一般市民の
自由や権利は最大限に約束されるべきだ
とする思想こそが
「リバタリアニズム」という
政治思想(哲学)の真髄であり、
これこそこれからの現代社会を
生き抜く上で、
私は最も重要な思想・哲学だと思っています。

それでは、ここから私の中に根付いている
根源的な思想・哲学である
リバタリアニズムについて
解説していきたいと思います。
はじめにリバタリアニズム
(libertarianism)という
言葉について解説したいと思いますが、
その前に「自由」とは何か
ということについて触れておきます。
まず、「自由」を意味する
「liber(リベル)」という
ラテン語がありますが、
これは「規則・規制に縛られない」という
意味での「自由」という意味合いを
含んでいます。
これを語源として、
「liberty(自由)」や「liberal(自由主義者)」という
言葉が生まれました。
ちなみに、「Freedom」も
「自由」という意味の英語ですが、
これは産まれながらの“牧歌的な自由”を
示す言葉であり、
“不自由な状態から解放された自由”という
意味である「Liberty」という言葉が
示す「自由」とは似て非なるものなのです。
すなわち、語源的に考えても
「Liberty」には
「規則・規制によって縛られた状態
(=不自由な状態)から解放された状態」
という意味合いが含有されており、
「Freedom」という言葉が持つ
“自由”の意味合いとは
全く異なるということは覚えておくべきでしょう。

我々日本人が日本語で単に
「自由」というと、
何か無条件に素晴らしいもので
あるかのように思えますが、
“freedom”ではなく“liberty”と言った場合には、
「能動的に(自ら)獲得して得られた自由」
という意味を示し、
これはほとんどの日本人には
馴染みのないものかもしれません。
これはやはり日本人は
昔から規則や規制で縛られるのが当然であり、
その状態から自由になるために
本気で争ったりしないからだと
私は思っています。
その日本人の、おかみに楯突こうとすることなく、
規則・規制に縛られた不自由な状態ながらも
置かれた立場に甘んじて生きていこうとする
「事なかれ主義」は、
人の良さで言えば良いこととも捉えられる
かもしれませんが、
それはある意味では奴隷根性が
根付いているとも言えないことはなく、
権力者・支配者からすれば
都合の良い国民性と言えるかもしれません。

さらに言えば
自由主義(Liberalism)の原型は、
中世ヨーロッパの王や皇帝が君臨する
王政国家において、
貴族社会の中で憂き目に遭っていた
(ユ◯ヤ)商人たちが自由に
商売(麻薬密売や武器の販売や
奴隷売買を含む)などを
許してもらう代わりに、
王族に税金を納めるという
生き方・考え方から生まれたものであり、
すなわち「Liberalism=自由主義」は、
ユ◯ヤ思想(ユ◯ヤ人の生き抜く術)から
生まれたものであることは
教養として知っておくべきでしょう。
すなわち「Liberalism」とは、
我々日本人が思い描く無条件に素晴らしい自由
などとは程遠く、
どちらかというと
虐げられる立場の人間が持つ「卑屈さ」から
生まれた思想・概念であるということは
肝に銘じておくべきです。

ところでみなさんは、
マイケル・サンデルという
ハーバード大学の政治哲学者を
ご存知でしょうか??
サンデル教授の講義を本にまとめた
『Justice:
これからの「正義」の話をしよう』が
日本でもベストセラーになりましたが、
彼が唱えている政治哲学は、
コミュニタリアニズム
(Communitarianialism)と
呼ばれます。
これは日本語では
「共同体(優先)主義」と訳され、
簡単に言えば、共同体(コミュニティ)の中で
培われる価値観を重視する思想・主義です。
この思想も実はイスラエルに入植した
ユ◯ヤ人たちが集産主義的
(コレクティビズム)な
集団生活の中から生まれたものです。

https://ja.wikipedia.org/wiki/集産主義

そして、サンデルらコミュニタリアン
(=共同体主義者)らは、
「政治は個人の価値観に対して
中立であるべきだとの立場を捨て、
社会にとって何が正義・美徳・共通善
であるのかを
示していかなければいけない」
と考えます。
コミュニタリアンらは
「政府は何が正義か、
何が善かを決めても良く、
その正義や善を市民の代表者らが
政策として打ち出した場合には
我々一般市民はそれに従うべきだ」
という考えを持っています。
サンデルら共同体主義者は、
民族や国家や地縁集団や
家系や宗教団体などの、
しばしば個人の自由意志での
脱退が困難(不可能)な共同体の
共通善や正義を重視し、尊重し、
優先させます。
すなわちその人の生来置かれた立場や
所属している団体や
グループなどの“ルーツ”を重視しており、
これは「反・自由主義的」であり、
個人の自由・権利を何より重んじる
「リバタリアニズム」の思想とは
真っ向から対立する主義・主張です。

また、サンデル教授は自らを
「共和主義者republican」であると
称していますが、
これも個人にとっての善よりも
「公共善」 を、個人の自由よりも
その人格形成と共同体の
「自己統治」とを重視する立場の人たちです。
サンデル教授はそれを自称するほど
筋金入りの共和主義者のようです。
サンデルのような
筋金入りの共和主義者らは、
「政治への積極的参加こそが
市民の良い生活にとって欠かせない
構成要素であり、
政治参加が人格を高め豊かな人間性を育てる」
と考えがちで、
「参加型民主主義」を訴え、
一般市民の政治参加を強要しがちです。
これは古代ギリシャの直接民主制を
理想化する立場の考え方です。
しかし、そもそも政治参加が
人格を高めると言えるのでしょうか?

もちろん
リバタリアニズムの見地からの回答は、
全くの否です。
先述の通り(公民的)共和主義者らは、
政治的・公共的選択・決定への参加を
一般市民に強制したがりますが、
これは人間本来の多様性を
全く無視した考えであり、
個人的自由に対する
全面的な侵害ですらあると
リバタリアンは考えます。
例えば今の日本において
政治的な参加を一切していなくても、
個々人がその人生を全うすることは
十分可能であり、
そのような政治に参加せずに
暮らす人々の生き方・考え方を
間違っているとして
非難する権利など
誰にもありません。
むしろリバタリアンは
政府が一般社会に果たす役割は
非常に限定的であると考えますから、
政治に参加しない人々にも
多額の納税義務が課されることに関しては、
完全に不正なことであり、
法の下での暴力であり、
国家ぐるみの犯罪であるとすら考えます。

さらに言えば、
今の世界支配体制(政治システム)の下では、
一般市民が政治に参加して
どんな代議士を選んだとしても
その代議士にやれることなどごくわずかです。
たとえ我々一般市民の多数が選んだ代議士が
日本の首相になったとしても、
世の中の流れを変えることはできず、
結局は日本の政治など
「コップの中の嵐」に過ぎないわけです。
そんな中で政治に参加することが
正しいことだと
主張する共和主義者らの言動は、
世間知らずの戯言にしか聞こえません
(ただし、私はデモに参加したり、
票を投じたりすることで
自分の意思表示をすることには
一定の意味があるとは思っています)。

ところで、勘違いしてもらっては困りますが、
この「リバタリアニズム」は
私自身の思想信条(人生哲学)でもありますが、
これはあくまでも
私自身が採用している思想であって、
何も他者に強要したり、
その思想を当院として患者に推奨したりするもの
ではありません。
また、「リバタリアニズム」は
政治哲学の一つとして
紹介されることが多いのですが、そ
れはあくまでも政治分野における
思想・哲学という位置づけであり、
思想体系としては政治だけでなく、
市場経済や個々人の生き方についての
指針を示してくれるものです。
つまり、私がこの場で「リバタリアニズム」について
紹介しているからといって、
当院として何か特定の政党や政治家を
応援しているということは当然なく、
また先述した共和主義者らのように、
患者やフォロワーに政治に関わりを
持てと強要したい訳でもありません
(むしろそれは個人の自由である
というのがリバタリアニズムの根本思想)。

では、なぜ私が
「リバタリアニズム」という思想について
ここで触れているかというと、
何度か書いてきた通り、
この思想がこの現代社会に起こる
様々な事柄や歴史を考える上で
非常に参考になるからです。
政治だけでなく、
経済においても、
そして生き方や対人関係においても
非常に有用な思想だからです。
ですから、当院の患者やフォロワーにも
ぜひその思想について
知っていただければと思い、
「リバタリアン」でもある私が
その思想について、
この場を借りてみなさんに
紹介している、
というまでです。
それ以上の深い意味が
あるわけではないということを
ご承知ください。
<引用終り>____________
■編集後記
アメリカ人には、このリバタリアンのヒトが
多いと聞きます。
「リバタリアニズム」を和多志は決して批判
や否定を唱えるつもりは、ありませんし
思想哲学的に是非、そんな理想社会が
実現できたらと和多志も思います。
しかし、現実の三次元世界の
日本に当てはめて考えると
「規則・規制に縛られない」という
意味での「自由」という観点から
純粋に実施すれば、税金は思うように取れないし、
そのことで、社会福祉や年金、皆健康保険制度は
なくなってしまうように思います。
まあ、だから、なのか知りませんが
アメリカでは国民皆保険制度が
出来なくなっていたんですかね。。。?

この自由を維持するためには、なんとなく
他人様や辺りに迷惑を掛けずにちゃんと
生活するための自分を自分で律するという
「自己の責任」というものを感じます。
俗に世の中で言ってる「自己責任」です。
リバタリアンが生活する上で、自由を束縛せず
かつ、当然に他人や他のモノにも
悪影響を与えないようにする。
ということで、、、

自分の生活費は自分で稼ぎ、老後も自分で蓄えた
資金で老後に備え、健康管理もきちっとして
病気にかからないように自己管理をし
万が一病気になり医者にかかることになることも
事前に考えて、医療費も自分で蓄えておく・・・

和多志としては、中・低賃金の日本人は、
とてもリバタリアンなんて無理っしょ!
と思いますし、なじまないですね
日本人には。。。。

皆さんは、どう思われますか?
ほんとうに・・・

ぶっちゃけ、ちゃぶ台返しの
GESARA/NESARAでも来ないと
マネーキングダムシステムの根底から
変革して、そして、その暁にこそ

宇宙リバタリアンの生活は
できそうですよネ!

では、また。

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