【かめちゃん先生】8/9(月)AM6:30-7:00セカウラ希望塾配信より


こんにちは、\イッカク です。/

今回は
あなたは、知ってました?
国家公務員とか特定の人たちは
「ちくわん」受けなくて良いんだよ!
という法律が改正されてたってこと!

そう、予防接種法、検疫法の改正がこっそりと、しらーっと
法律案名:予防接種法及び検疫法の一部を改正する法律案
提出回次:第203回国会
種別:閣法
提出番号:1
提出者:内閣
提出年月日:令和2年10月27日
成立年月日:令和2年12月2日

実に「狡猾」ですし、日本は
中国より、極めて
すぐれた「共産国家」だった
ということが、改めてわかります。

さて、今日の動画置きます。

■編集後記
結局、日本は、微妙に共産国家でした!
そして、ますます、真綿で
国民の首を締めて
最後には・・・超監視社会を
つくる気です。
実は、理想共産国家の真髄が
「日本」の中にあったのでは無いでしょうか?

その起源は

日本の共産主義=官僚主義
を持ってきたのは、古代の中国での
官僚封建主義が、日本と対等に関係性を
保てなかったという理由があって、
それを反省して
改良を加えたのが十七条憲法だった?。。。
これが日本人の日本人たるエッセンス
と思われます。
https://honcierge.jp/articles/shelf_story/8059より
<引用開始>_______________
・・・581年に楊堅が隋を建国し、およそ
400年振りに中国が統一されました。
超大国が誕生したことによって、
東アジアの国際情勢が大きく変わります。
高句麗・新羅・百済という三国が激しく
争っていた朝鮮半島では、隋と手を結ぶのか、
それとも対立するのか、
熾烈な外交戦がおこなわれていました。

この時日本は、
蘇我氏と物部(もののべ)氏による争いや
崇峻天皇暗殺事件など、
内政が混乱。604年になってようやく初めての
遣隋使を派遣します。
遣隋使は楊堅に拝謁したものの、
皇帝からの質問にまともに
答えることができず、
未開発な野蛮国であるという印象を
与えてしまいました。

遣隋使を派遣した聖徳太子の目的は、
従属でも対立でもなく、
対等に付き合うという
第三の道を模索することだったと
いわれています。
しかし失敗に終わったことで、
隋と対等に付き合うには
それにふさわしい
国家体制を構築する
必要があると明らかになったのです。
・・・
<引用終り>_______________
十七条憲法のエッセンスは
日本人の「大人の対応を定めた法律」
ということで、
現代の法律とは違っています。
この領域は「道徳」とか「しつけ」の
部分もかなり入っているのですね。

云うなれば、現代に置き換えれば
国民性として、お上から見たら
「日本社会をうまく回す」下地が
すでに、約1400年前から日本人に
埋め込まれていたと云えます。
ところが、多くの日本人は
程度の低い為政者の一方的な
圧力と洗脳によって
現在は、日本は「中華」風にされています。
過去に聖徳太子が小野妹子を引き連れて
隋に赴いた際に
「日出ずる処の天子、
書を日没する処の天子に致す。
恙無(つつがな)しや」の国書を持参させ、
煬帝を激怒させつつも隋との間に
対等な関係を構築したとある。
そのくらい、日本の精神性と気概は
確固たるものであったはずである。
現代は、あろうことか
「不道徳なシニア」や「中共工作員」が
日本人に対して、プロパガンダや
「嘘・偽りの情報や行動」をして
日本人を貶めているのです。

では、また。

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